金栗四三氏は、「日本マラソンの父」と称されたマラソン選手であり、1912年のストックホルムオリンピックに日本人初のオリンピック選手として出場した偉人です。 23歳で生家のある春富村(現和水町)から玉名郡小田村(現玉名市)の池部家の養子となります。 箱根駅伝の創設や高地トレーニングの研究、熊本県体育協会の設立など、日本のスポーツ振興・発展に注力しました。 生涯走った距離は25万キロと言われています。